読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

今の日本をあらわす古くて新しいことば「軍事的半農奴的資本主義」

資本主義 明治維新 天皇

f:id:pkotoba:20160528180142j:image

山田盛太郎(写真)

日本はその近代化の中で、「軍事的半農奴的資本主義」(山田盛太郎)を発展させた特殊な国である。軍事的半農奴的資本主義とは、明治維新後の日本の近代化において、日本が海外進出のためにとった特殊な財政政策のことを指し、強力な軍事力の維持と軍需工業を中心とした重工業の育成のために、その財源を農村の高い地代によりまかなう政策のことを指す。

つまり、驚くべきことに、日本の近代化においては、地主と小作農との半封建的な関係が解消されるどころかさらに強化されたのである。

そこでは、重工業の展開と、農民経済が相互補完的な日本経済の両輪となるのである。そこに天皇が利用された。天皇は一方では米作社会を司る存在として農村の頂点に位置し、他方では工業化を推進する近代的な官僚組織の頂点に位置することになる。天皇はこの農村と工業の二つの経済的基盤を代表することで、国家の一体性を維持しようとしたのだ。

ここにこの軍事的半農奴的資本主義の原型としての本質がある。産業資本主義というものは元来市民革命による制裁を受けるはずだが、日本においてはそれが全く起こらなかった理由はここにある。

しかし全くその兆しがなかったわけではない。軍人の反乱である2.26事件はその反動として起こった。重工業を推進する官僚組織の側に立つはずであったが軍人が、その大半が農村出身であったがゆえに、疲弊した農村の状況を打開すべく、財閥と官僚に反旗を翻したのである。

しかし、皮肉にも、この事件が天皇の真の性格を浮き彫りにすることになる。2.26事件に際して、官僚が暗殺されたことに激怒して、昭和天皇は「朕自ら馬を引く」と言って、反乱軍の鎮圧に乗り出しただけでなく、彼らに恩赦を与えるどころか処刑してしまったのである。

ここにおいて天皇は農村社会を代表するものではなく、官僚体制の代表であることが決定的になってしまった。

太平洋戦争敗戦後にクローズアップされるようになった昭和天皇が、祭礼としての田植えに専念し、死の間際まで冷害を憂慮した天皇を演じたのはこの時捨て去った天皇の側面を回復しようとする試みであったと今では考えられている。

その後この軍事的半農奴的資本主義は暴走を続け、日本は植民地政策に突っ走ったあげく太平洋戦争に敗れる。その後、米国により、日本は民主化され、非武装平和憲法が制定される。

しかし、驚くべきことにこの半封建的資本主義の原型は、敗戦後もしぶとく生き残るのである。これには二つの必然的理由がある。つまり、戦後処理の中で、軍部は裁かれると同時に、天皇は象徴としてとどまり続け、退位することはなかった。さらに財閥と官僚に対しての裁きがなぜか極めて甘かった。

このようなわけで、天皇制と官僚体制に支えられることにより成立する半農奴的資本主義の原型は息を吹き返す。財閥は官僚、メディア、そして心理的ヒエラルキーとしての天皇を利用してその利潤追求をますます効率化し、強めていった。

 

f:id:pkotoba:20160528180220j:image