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政府と日銀のバランスシート(BS)を連結して統合政府のBSを作ると国債はどうなるか。

政府と日銀のバランスシート(BS)を連結して統合政府のBSを作ると発行した国債は以下のようになる。

政府  (資産)その他資産  (負債)国債
日銀  (資産)国債             (負債)貨幣

統合政府  (資産)その他資産  (負債)貨幣

となり発行国債を全て日銀が買い戻せば統合政府のバランスシートは同じ量の国債が資産と負債の両者に分かれ相殺される。その結果統合政府の負債には国債ではなく国債分の貨幣だけが残る。つまり発行国債が貨幣に変わる。国債を発行するたびに貨幣は増えるが国債債務は発生しない。今後の問題はどうやったら統合政府がこの貨幣を「資産経済」ではなく「実物経済」に行き渡らす事が出来るかだ。

「キャッチアップの時代は終わった」は間違いだった!- 創造崇拝・模倣軽蔑主義の弊害

「キャッチアップの時代は終わった!」「これからは基礎研究の時代だ!」とうそぶいていた日本がいつの間にかGDPで欧米中印に追い抜かれてしまった。「キャッチアップの時代は終わった」は大間違いだった。まだまだ欧米から学ぶことがあったのにそれを見過ごしてしまったのだ。ブレイクスルーはたいてい模倣から始まる。イノベーションという言葉は欺瞞だ。アップルは徹底的な模倣の繰り返しから成功をもぎ取った。ネットワーク理論、ウィンドウズ理論、ソニーなどの他社の無数のパテント - これら他人が作り出した技術とアイディアをかき集めることからアップルは始まった。それらを需要に合うように要領よくまとめただけだ。まとめ上手のジョブズの真骨頂だ。優れた技術と集中力で需要に近づけたのだ。IPS細胞研究もよく見れば技術の勝利だ。理論はすでに作られていた。誰もが考える仮説 - 夢がすでにそこにあった。他者よりも秀でた技術によりその検証に成功したに過ぎない。科学の進歩とはそういうものだ。文献から他人の理論や業績をかき集めて自分なりにまとめる。確信を持てたら自らの技術で検証して見せる。その中からブレイクスルーが生まれる。オリジナリティとは本来そうしたものだ。他人の業績や理論を拝借しても一向に構わない。むしろそれを他人のもののままにしておいてはいけない。その理論を一歩でも需要に近づけなけれならない。そうしなければその理論に何の価値を見出したらいいのか。新しい理論を作り出すのは一部の天才に任せておけば良い。自ら何かを創造するなどと間違っても考えてはいけない。それは身の程知らずと言うものだ。凡人はそれをいかに需要にちかずけるかに努力すれば良い。それこそがイノベーションなのだ。

平等を作るために不平等を仕立て上げる絶望的な社会

平等が悪として攻撃される。没落した中間層が再分配による平等を憎悪し個人の自己責任を強調する。補助金 公共事業 地方交付税が悪とされ、農村 建設業者 過疎自治体が政治的コネを使ってうまい汁を吸っていると攻撃される。不平等を仕立て上げそれを攻撃することにより新たな平等を仕立て上げる。全員がリスクを負った今そのリスクに不平等があってはいけないとする絶望的な社会。グローバリズム 新自由主義の後に来たのは勝ち組負け組思想と高リスク社会。そこで語られる言葉は平等ではなく自己責任。

トランプの挑戦

トランプはオバマケアを撤廃する代替案を議会に通すことができなかった。代替案が説得力のある具体性に欠けていたためと思われる。彼のやり方の特徴は結果を気にせず肩肘張らずに愚直なまでに公約を実行しようとするところだ。彼は、政治を結果で評価すべきではないと考えており、論理の通った公約であればそれを実現するために誠実に努力することこそが評価されるべきだと考えているようである。これが米国民に受けた。彼を能力のない無責任な政治家だと批判するのはたやすい。しかし政治は経済現象とは違い生身の人間の作りだす作品であり理性と現実の戦いの中で生まれた妥協の産物だ。我々はその妥協が生む矛盾を知りすぎるほど知っている。国民は政治が無力であることを誰よりもわかっているのだ。重要なのはそれでも尚我々は理想を愚直に追い求める生き物だと言うことだ。希望を捨ててはならないのだ。全く新しいタイプのポピュリストが出現した。彼の挑戦は今始まったばかりだ。

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昭恵夫人の「不思議な社交性」

首相夫人としては型破りで規格外な昭恵夫人の行動に、何故?といぶかる人も多いのではないか。彼女は実に20の団体やイベントの名誉会長などの役職に付いている。驚愕するほどの彼女の華麗な家系に比べると彼女の言動は明らかに異端的であり直情的。失礼だがキテレツ軽薄だ。2年前、居酒屋で深夜に人気歌手を電話で呼び出したり、居酒屋を自らオープンしたりと享楽的な一面を見せたかと思えば、かたや反原発を表明したり家庭内野党と自らを称したりもする。戦争をしたら私をまず殺しなさいと夫に訴えるかと思えば一方では国家神道に傾倒する姿を見せたりもする。彼女の一貫性のない性格や言動の背景に一体何があるのだろうか。大麻に関する彼女の見解が雑誌のインタビュー記事に載った事がある。去年鳥取県大麻加工業者である上野俊彦が大麻不法所持で逮捕された時だ。彼女は彼の大麻町おこしに協力、彼と一緒に撮った写真をFBに載せていた。週刊文春の取材に対して彼女はこう答えている。「私自身大麻自体を悪いと思ってはいません。彼は吸引に関しては法を犯していないのです。実は私も山口県大麻栽培の免許を取りたいと思っていました。産業用大麻は毒性がほとんどないのです。麻は植物なのになぜ取り締まるのですか。トリカブトだってそこら辺に生えているのに。」華麗な家系と支持率50%越えの首相を夫に持って何不足ない人生を送る彼女にとって当面の最大の敵は慢心と嫉妬かも知れない。世の中は得てして本質から外れたところで大きく動くことがある。

メレルは確実に進化している- ジャングルモックと1six8

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メレルを履くと、とにかく「早く」歩ける。転がり抵抗が低いからだ。タイヤと同じで転がりが良くなるとグリップ力が落ちる。だからスリップもしやすくなる。それは仕方がない。ジャングルモックも早く歩けるが重たい。柔らかい靴底とあいまってこの重さはメレル独特の心地よい安定感をもたらす。しかし長時間歩くと足先が振られ足首に余計な負担がかかるのが分かる。足首が安定しないのだ。ところが、1six8はとにかく軽い。そしてヒールが常に安定していてどんなに歩いても足首が疲れない。アッパーを薄く柔らかくすることによってメレルモック特有の締め付け感もない。にもかかわらず、足首やヒールの安定性は逆に向上している。足底へのソフトな感覚と足首のホールド感が見事に両立しているのだ。その原因はその驚異的な軽さにある。そこに従来の転がり抵抗の低さが加わって快適な事この上ない。この快適感は長く歩けば歩くほど増す。この軽さと安定感を味わうには靴ひもタイプではなくやはりモックだ。従来の常識としてヒールのホールド性を高めるにはかかと部分の壁を固くしなければならないという先入観が我々にあった。また安定性を高めるには靴底は固くなくてはならないという既成概念もあった。ところがこの靴はアッパーは軽くてへなへなで靴底も限りなく柔らかい。それにもかかわらず安定感はむしろ向上している。メレルの中で長時間の軽装山道歩きには一番向いているモデルではないか。有名ブランドは得てして粗利益率を高めるためだけのモデルチェンジを繰り返し売り上げを伸ばそうとする。しかし今回のメレルはそれには当てはまらない。見事というしかない。

ハート・ロッカー

ハート・ロッカーは爆弾処理のプロでならした帰還兵が戦地に再び戻る物語である。一旦帰国した彼がどのような経緯で戦地に戻る気になったのか。彼の帰国から戦地への再出発までの様子が淡々と描かれる。この映画のクライマックスは最後のシーンにやって来る。彼がいよいよ戦地に再突入しようとした時はじめて仲間が戦地に帰って来た理由を尋ねる。彼は迷惑がる様子もなく苦笑いを浮かべながら黙って前を見ている。答えは彼の口から出て来ない。というより答えることを敢えて拒否しているように見える。気まずい沈黙が流れるが、やがて戦車の外で爆撃音や銃声音が飛び交い始める。それでも尚彼の答えを待つかのように兵士たちは沈黙する。前方を警戒する何も言わない彼の横顔を写し続けたまま映画は終わる。郷里の巨大なスーパーストア。レジに並ぶ買い物客の群れ。棚に積まれた大量の商品の山。死んだ戦友。死んだ戦地の親や子供。彼の脳裏に飛来する記憶は確かで鮮明だ。その意味も理解している。しかし彼は誰も非難しようとしない。そして、戦争を語ることをやめたように思われる。「戦争」と「戦争を語らないことを選んだ兵士」。作者の意図した構図の意味がこのラストシーンに至ってついに結実する。天才スピールバークさえ見落とした戦争の爪痕がこの映画において見えてくる。

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